第3話 駅

最近は特に夢中になれることがなかった。もちろん、1週間の大半を仕事に奪われることが原因とも言えるのだが、仕事と趣味を両立している人だって沢山いるわけで、ただの言い訳でしかない。部活とかサークルとか、ゼミとかに所属していたり、アルバイトをしていた頃が懐かしい。あの時は、働きながら、時間があった。たしかな時間がそこにはあり、何も考えないでも、それは悪ではなかった。あの感覚をまた手にできるのは、いつになるのだろう。定年退職したらなのか、仕事を辞めさせられた時なのか、定かではないが、年金がもらえるかもわからない世の中に、期待していても無駄だ。

 

腕時計を再度確認して、9時40分であることを知る、40分間も何していたんだろうか。物思いにふけていたことをここで再度後悔する。普段であれば、会社でメールの確認をしているか、もしくは会議の資料をまとめている。資料作成の仕事はもちろん、若手の仕事であり、これまで資料作成に手を抜いたことはないし、定評もある。なんの取り柄もなかった私であるが、資料作成という誰でもできることに関しては、一定の評価を受けていたのは事実である。

 

駅のベンチに長らく座っていたわけだが、さすがに動いてみることにした。辺りを見渡す限り、目立った建物などはないが、動いてみることで何か出会いがあると悟ったのだ。駅の改札には、ICカードをかざすようなものはなく、駅員が1人いて、その人に話しかけざるを得なかった。難しいことを考えずとも、人と話すことに壁はない。しかし、何故か話しかけることすら厭われる。怖いというと、少し違う、なんだろうか。違和感に包まれながら、駅員らしき人物に声をかける。「すみません。改札を出たいのですが、こちらのカードは使えるでしょうか」言葉の選択は間違えていないはずだ。しかし、駅員の反応はない。

 

懲りずに何度も話しかけるが、その駅員は一言も発さない。少しの時が流れた後、私は一つのことに気がつく。その駅員の息はない。目を開けたままの状態で、固まっていたのだ。私が動揺するには十分すぎる状況であり、パニックに陥った。

 

死体らしきものを見るのはこれが初めてではない。子供の頃、親に連れられ親戚の家に向かっていた私は、駅のホームに立っていた。目の前に並んでいる男性は、あたりを窺っては電車の来るタイミングで飛び降りた。男性の肉片らしきものが飛び散り、数時間後に救急隊が死体を運んで行った。

 

あれも駅であった。駅は何かと私と関わりが深いのかもしれない。

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第2話 時間軸

時間が戻るようなことはない。これは当然のことである。このことは今もこれからも変わらないと僕は思う。バックトゥーザフューチャーなんて映画は夢物語にすぎず、ドラえもんの世界も当然ありえない。時間軸は人類がどうこうできる類のものではないのだから。

 

子供の頃は過去に戻れる、未来に行けると思ってたのだろうか。1秒1秒がかけがいのない、取り返すことのできない時間であるなんて、思いもしなかった。社会人になった今でもそんなことを思うことは滅多にない。もし過去に戻れたらなんて、ありきたりな妄想をしたとしても、おそらく私は私のままであり、過去を変えることすらできないのだろうか。それとも、未来を知っている私は過去を変えて、未来をも変えてしまうのだろうか。

 

今になって人生を振り返れば、後悔ばかりである。昔の言動、それら1つ1つが1つも正しくなかったように思われてしまう。これは、私が適当に生きてきたことの代償であるのか、はたまた誰しもが陥ってしまうものであるのか、考えを巡らせるだけで、行動には移さないのだから、私はいつまで経っても私なのだろう。

 

腕には時計が付いている。これはお年玉で就職を目前にした私が購入したものであり、当時は初めての少し高い腕時計ということで、顕示欲を掻き立ててくれた代物だ。人はなぜだろうか、他人に自己を顕示する。その気持ちを僕は理解できるし、否定したりしない。時計という代物はまさにそのことを代名していると思う。時計の本来の役割は時間を示すことであり、それ以外にはないはずだ。しかし、人は値段の高い時計を身につける。そこには、顕示欲や承認欲求があり、自己を正当化するのだろうか。

 

会社の上司たちは皆、腕に高そうな時計を身につけていた。自らが上であることの証明なのか。実際のところ、そんなことはなさそうであるから、人は奥深い。単に時計が好きとか、お金の使い道がないとか、人によって様々である。こうした考え方があるにもかかわらず、顕示欲の塊などと決め付けている時点で、器の小ささが露呈している。少なからず、上の立場になればなるほど、時計にお金をかけていくのかもしれないし、またその他に費やすのかもしれない。

 

とにもかくにも、私は迷走中なのだろう。時計を確認した直後に、「今何時だっけ」と気になって確認しているのだから、時計本来の役割を生かせていないのは、私なのだろう。

 

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第1話 後悔の色

電車って誰が考えたんだろうか。昔から疑問であった。電車を思いつくような人がこの世にいなかったとしたら、我々はどのように長距離を移動していたのであろうか。気になる。

 

気がつけば、とある町に到着していた。この土地で私は右も左もわからないし、今後どうなるのかもわからない。月曜日から会社を無断で休んだことが、吉と出るか凶と出るかはこれまた神のみぞ知ることなのだろう。昔から予定をすっぽかすことやサボることには、罪悪感とともに背徳感があった。学生時代に、1人だけ授業を抜け出すことや風邪で休んでしまい授業に出られないことがあったが、両者とも言葉には表すことはできないぐらいに、気分が高まった。もちろん、背徳感だけではなく、罪悪感があった。その点に、私の性格が表れているのだろう。悪いことはしてはいけない。こうした先入観というか価値観が奥底に眠っている。

 

しかし、今回は違う。会社を無断で欠勤しているにもかかわらず、罪悪感は微塵もない。わけはわからないが、ただただ高揚感に包まれているのだ。決して楽しいわけでもなく、嬉しいわけでもない。それらとも違う、これまた言葉には表せない何かを確かに感じている。

 

到着した町は、とても静かで電車が通っていることが場違いであるかのような空気であった。私は何をするのだろうか、いや、これから何をすべきなのだろうか。こうした思考を巡らせるが、1つも案は思いつかなかった。親戚がいるわけでもなく、昔住んでいたとか聴いたことがあるとか、そんな身近な場所ではない。決して知ることもないだろうし、知りたいとも思えない、1つの隔離空間のようであった。

 

「もうすぐ9時だ」と心の中で呟いたが、あたりには誰もおらず、もちろん罵声を浴びせるような上司もいない。自身のポストに甘んじて、部下を手下のように扱い、奴隷のように罵るような人間はいない。そんなことを考えているうちに、電車がまた来た。もちろん、この場所はとある電車の終点であり、客を下ろしたら、電車は引き返してゆく。

 

電車から1人の女性が降りてきた。今日という1日にはあまりに豪華すぎる。というのも、社会人になってから、人生を働くことに捧げてきた私に、彼女ができることはなく、まして作るために努力しようなんて心の余裕も微塵もなかったのだ。「この女性はなんて美しいのだ」心の中に思い思いの妄想が掻き立てられ、夢見心地であった。しかし、気がつけばその女性はそこにはおらず、まるで幻が如く、以前までの何もない世界が広がっていた。「あぁ、何をしているのだろうか」ただ、それを思う。

 

 

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プロローグ

右も左もわからぬ頃から、私はこの町にいる。いつもと変わらぬ景色の中で、日々何のありがたみも感じることなく過ごしている。この町に対する思い入れは、時とともに変化するものであったが、今はそんなこともない。

 

電車に揺られて何処へやら、何処へ行くのやらもわからず、ただの時が流れるのを見守っていた。

 

学生時代の思い出はない、何も考えずに過ごしてきて、浪費という言葉が適すると思えるほどに無駄な時間だったのだろう。人並み大抵のことはそつなくこなすことが出来たし、金銭の面で困るようなこともなかった。もちろん親という存在があったからなのは言うまでもなく、感謝の念は未だ絶えない。

 

社会人になり、いわゆる大手企業に入社したが、これと言ったやりがいがない。側から見れば、「有名企業で働き、さぞ楽しいのだろう」と思われるかもしれないが、決してそんなことはない。給料が割にあっているということだけが唯一の救いであって、内容は激務であり、上司からの命令や罵声は後を絶たない。ここに楽しいという感情はない。

 

このまま時が流れていくとして、私はどうなっていくのだろうか。それは誰にもわからない。よく神のみぞ知るとかいうフレーズを聞くことがあり、神様なんていないと思っていた僕でさえも、今年の初詣だけは念入りに幸福を望んだ。

 

幸福って何だろうか。学生の頃に、とある教授が幸福についての講義をしていたのを思い出す。当時は単位のための講義という感覚で、気にも留めなかったことであるが、今思えば、幸福についての講義を再度聴いてみたくなるものだ。

 

それにしても時が流れるのは早い。子供の頃は1年が早かったねなんてことを聞いても、1年は1年だろとツッコミを入れていた。でもそんなことはない。歳を取るにつれて、1年のスピード感は感覚的に上昇している。そのスピード感は子供から大人になるにかけて、少しずつではあるが、確実に、まるでどこかへ私たちを導いているかのうように早くなっている。

 

子供の頃は戦隊ものに憧れていた。あの各色ごとに役割のある戦隊たちに。中でも私は赤色になりたかったという。これは旧いアルバムを見ればわかることだった。赤色といえば、戦隊ものの中でもリーダー的な役割を果たすもので、1番目立つことが多い。私の生きてきた人生の中で、誰かを引っ張っていくことはほとんどなく、子供の頃の夢は夢のままで終わっていた。

 

今働いている会社でも、上の立場にいる人たちがポジションを譲る気はなく、あの方達が定年になるまで上のポストは開かない。いつまでも私は赤色のヒーローではなく、青とか緑とか、はたまた黄色のポジションなのだろう。もちろん僕個人の能力もあるだろうし、周りのせいにしてばかりはいられない。

 

でも、時は流れる。気がつけば、右も左もわからぬままに、私は電車に揺られて何処へやら旅に出ていた。

 

 

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